
《ほおずきの実のある自画像》
エゴン・シーレ
1912年 油彩、グワッシュ/板
レオポルド美術館蔵
シーレの自画像のなかでもっともよく知られた作品である。クローズアップで描かれた画家は、頭部を傾け、鑑賞者に視線を向けている。シーレのまなざしは挑発的にも、いぶかしげにも、あるいは何かに怯えているようにも見える。青白い顔には赤、青、緑の絵具が、まるで血管のように、すばやい筆致で施されている。本作の緊張感は、高さの不揃いな人物の肩と、ほおずきの蔓がおりなす構図からも生み出されている。生涯にわたり自画像を描き続けたシーレは、世紀末のウィーンという多様な価値観が交錯し対立する世界に生きながら、自画像を通して自己のアイデンティティーを模索し続けた。

《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》
エゴン・シーレ
1908年 油彩、金と銀の顔料/カンヴァス
レオポルド美術館蔵
シーレは1906年にウィーン美術アカデミーに入学するも、保守的な教育に不満を抱いていた。その頃、当時のウィーン美術界の中心人物だったグスタフ・クリムトと個人的に知り合った。クリムトからの影響は、この絵画にもっともよくあらわれている。正方形のカンヴァスや背景に金や銀を用いる手法は、明らかにクリムトのものであり、絵画の装飾性、平面性を高める役割を果たしている。中心に据えられた花と葉もまた大胆な色面で表わされ、シーレの後の作風を予見する。

《自分を見つめる人II(死と男)》
エゴン・シーレ
1911年 油彩/カンヴァス
レオポルド美術館蔵
中央の人物は画家自身であり、目を閉じて瞑想にふけっているようだ。背後に迫るもう一人の人物は、赤、緑、黒と複数の色彩で表わされた手前の人物の顔面とは対照的に蒼白で、まぶたは窪み、頬はこけている。いわば死人の顔である。画家は自分自身と、近づいてくる自分の運命と対峙しているのである。世紀末から20世紀にかけてのヨーロッパでは、生と死をテーマとする作品が数多く制作された。シーレもまた、自分自身の姿を重ねこの主題をたびたび取り上げたが、本作は画家が21歳という若さで、普遍的な死の表現に到達しているという点できわめて興味深い。

《モルダウ河畔のクルマウ(小さな街IV)》
エゴン・シーレ
1914年 油彩、黒チョーク/カンヴァス
レオポルド美術館蔵
個性的な人物画で知られるシーレだが、実は彼の全作品に占める風景画の比重は決して小さくない。クルマウ(現チェコのチェスキー・クルムロフ)は、シーレの母親の故郷であり、彼自身も何度か訪れた町である。本作では高い視点から、家々がひしめく町全体が平面的にとらえられている。小さな窓やアーチのある壁に、帽子のような屋根を頂く家並みは、中世の風景を思わせる風情がある。シーレの風景は押しなべて静謐で、暗い色調の作品が多いなか、本作は構図や色彩にリズムがあり、おとぎの国のような雰囲気が漂う。

《母と子》
エゴン・シーレ
1912年 油彩/板
レオポルド美術館蔵
キリスト教絵画の伝統的な聖母子像を思わせる構図に収められた母と子。しかし、目と口をしっかりと閉じた母親の表情は、世界との断絶を感じさせる。一方、目を見開いたこどもは恐怖心をあらわにしているようだ。シーレの母子像は、平和や愛情の象徴というよりむしろ、死や不安をほのめかす作品が多い。本作においてシーレは明らかに筆ではなく、指を使って描いていて、一部に指紋が残されている。

《頭を下げてひざまずく女性》
エゴン・シーレ
1915年 鉛筆、グワッシュ/紙
レオポルド美術館蔵
伝統的な裸婦像は立っているか、横たわるポーズをとっていることが大半だが、シーレの裸婦の多くは体を極端にひねったり、うずくまったり、膝を抱え込んだりと、伝統からいちじるしく逸脱し、バラエティに富む。本作では、女性がひざまずいた状態から突然に前屈みになった瞬間がとらえられているようだ。ふわりと膨らんだスリップと、露わになった太腿は、シーレらしいエロティックな演出であるとともに、画中に運動感をもたらす要素となっている。

《悲しみの女》
エゴン・シーレ
1912年 油彩/板
レオポルド美術館蔵
クローズアップで描かれた女の肌は青白く、頬はこけ、大きな瞳は涙でうるんでいる。モデルは1911年から15年にかけてシーレの恋人だったヴァリー・ノイツェルである。いびつに描かれた黒いスカーフの向こうには、神経質そうな表情の顔がみえる。まるで彼女の思考がこの男で占められていて、彼女の悲しみの原因が男にあることが示されているようだ。男はほかならぬシーレ自身であり、不穏な描写に二人の複雑な関係があらわれている。